第2回目2017.10.8
こんばんは原田真二です。
今月から3か月間毎週日曜9時、皆さんいかがお過ごしでしょうか。
ディナーは終わったんでしょうか。
さて僕、原田真二は今年がデビュー40周年。
テレビに出てた時期デビューしてから1年から1年半ぐらいでしょうか。
ほんとに集中的に出てたんですけど、そのあともうパタッとテレビに出なくなりまして、
僕が拒否したわけじゃないんですけど、やっぱそういう時が来るわけなんですが、
もともとロックを追及してたもんですからライブを中心に活動していくという発想もありましたし、
テレビ出なくなったんです。
そしたらいきなり地下活動に入ってしまいまして。
ほとんどの方が僕のデビューの頃しか知らなくて、そのあとの39年近く空白の時間があると思います。
この番組を聴いて、ベストアルバムを聴いて、その38年空白の38・9年を埋めていただきたいと思ってます。
デビューからの活動40周年がぎっしりと詰まっているので聴いていただきたいです。
毎回テーマを設けて楽曲とともにタイムトラベルしていこうと思ってます。
そんな1時間です。
今夜もよろしくお願いします
オープニングナンバーは僕の代表曲お送りしましょう。
それはニューバージョンです。
聴いてください。
「タイムトラベル」
今夜の番組のテーマはタイムトラベルワードなんですけど今夜は「楽曲制作」専門的ですね。
先週からお伝えしておきましたからミュージシャンになろうとかデビューしようとか思ってる人
ラジオの前に集まってくれてますよね。
皆さんそんな専門的なこと言うわけではないですが、ちょっとどんな感じで音楽に傾いていたのかを
ちょっとお話してみたいと思います。
僕は全く実は音楽に向かってなかったんです。
どっちかっていうと理工系だったんですね。
例えば物の中身とか船の中とか車の中とか潜水艦の中とかロケットの中とか
そういう中身をすごく興味をもって設計する分野に行きたいなと考えていたんです。
それが膨らんできて宇宙飛行士になりたいっていう風になってきたんです。
ガガーリンの地球は青かったという本があったんですね。
それを読んで感動して宇宙飛行士になりたくなっちゃったんですよ。
それから宇宙開発競争がずっとあって、小学校5年の頃にはアポロイレブンが月に行っちゃうわけなんですけどそういう時期ものすごい刺激を受けたんです。
ですから宇宙への興味がものすごくあったんですけども。
僕は小学校2年の時にうちの兄の影響もありまして、
広島少年合唱隊というボーイズクワイアの試験を受けて入ることができたんです。
足のけがなどあって1年ちょっとくらいしか行けなかったんですが、
そのころに音楽、歌うことにも興味が出ましたし、音楽の基礎を学ぶような時期があったんです。
でも小学校1年の時にさらにさかのぼって、うちにピアノが来たんです。
アップライトのピアノが来まして、その当時ピアノがあるっていうのはすごいステータスな感じもあったんですが、
うちは両親とも学校の先生で母親が特に小中の教師でもありましたので、
ピアノも弾けてバイエルを母から教わる時期があったんです。
その当時まったく音楽に興味がないんですね最初。
ピアノをスタートしたんですが半年もしないうちにまったく興味なくなって辞めてしまいましてね。
それで中学になったときに強烈な出会いだったのがエルビスプレスリー、
僕の年齢で、その当時エルビスプレスリーはずいぶん後になってからのプレスリーなんですが、
その当時は大変な企画だったと思います。
衛星中継でハワイからの生中継っていうのがあったんです。
観客が熱狂してるわけです。
それを見たときにコンサートってすごいなとか音楽ってこんなに人が盛り上がっちゃうものなんだって
そのことに感動してまして、これが決め手となって一気に音楽に傾いていってしまったんですね。
一気に音楽に興味を持ち始めたんですが、中学でその時は全国にFMステーションができ始めて
洋楽を聴くチャンスがどんどんどんどん出てくるわけです。
」
ちょうどその時うちにギターがありましてね。
アコースティックギターなんですけど、それをちょっと弾いてみようかなってことで弾き始めたというか、
本で勉強してそのころ初めて曲を作り始めるんですけど同時に初めてライブをやるチャンスもあるんです。
あまりに長くなったんでこのへんで曲をかけたいです。
僕の歴史がどんどん進行して、今日はこれいってみましょう、2枚目のアルバム、アメリカでナチュラルハイを制作した時のなんですけど、聴いてください。
「スイートベイビー」
LA録音らしい非常に乾いた音でかっこいいドラムなんですけど聴いていただきました「スイートベイビー」でした。
中学の頃に音楽にのめりこんでいったんで曲を作ってみようということで作り始めました。
小学校1年くらいの時に実は作ってたんです。
音楽のノートに。
音楽の授業の時、音楽のノートの1番裏に歌詞を書いてメロディ書いて、オタマジャクシ書いて。
そこに4小節くらいの曲を作ってたんですね。
その詞はラジオで申し上げることはできません。
非常に問題がある詞だもんですから。
もう大変な曲だったですから。
そういうことからスタートしてスタートに数えられるかどうかわかりませんが、
そのころから作曲の才能が飛び出してたんでしょうね。
中学になってからいろいろとやり初めまして音楽を先にメロディをコードかき鳴らしながら歌ってみて
録音するとかそんなこともありました。
それから詞も書き始めました。
詞のテーマはそのころからはっきりしたものがあったんです。
またお話ししていこうと思いますけど。
受験勉強が終って高校に入りました。
そっからもう軽音楽部に入るわけです。
アニメにもなるくらいの軽音楽部ですからね。
ほんとに楽しかったですよ。
だんだん盛り上がってきて、だんだんデビューを真剣に考えようとなってきた。
1975年です高校2年の時なんですが自分の作品を楽曲をつくってデモテープをとる。
カセットテープアナログのテープですけどカセットトウカセット。
カセットを流しながらそこに音を重ねていくとかそんなことをやってたんです。
どんどん音が劣化していくんですね。
3回ぐらいが限度なんですがそんな形でデモテープを作ってフォーライフレコードオーディションへ
応募したんです。
そのデモテープを作るのが高校2年ですから秋の修学旅行だったんです。
修学旅行に行ってると間に合わないんです。
僕はどっちを選ぶか迷わず楽曲制作を選んでしまいまして、よっぽどその時音楽に向かっていたんだと思います。
楽しい修学旅行をカットしてデモテープを作って送りました。
そしてなんと3日後に東京から電話がかかってきたんですよ。
驚きました。
これはチャンスなのかなと。
一度会いたいからということで
その当時なかむらたつひこさんいうというディレクターが、元気でいらっしゃいますかね、
会いに来てくれまして、フォーラーフの最初のトレーナーなんかプレゼントしてもらったりして、
「うわぁすごいなフォーライフの人来てくれた」って16くらいのガキンチョですよ。
まいあがりまして、
で、そっから真剣に考えるようになってきて次の年、高校3年の夏に上京しまして、
フォーライフの方々とお会いして、その時にフォーライフ側としてスタジオをとってくれるわけなんです。
ちゃんとしたレコーディングスタジオです。
そこで自由にやっていいから、って時間をくれて。
僕がピアノとギターとかベース持ってって自分で多重録音するわけです。
で、オリジナル曲を3曲選んでのちにその中の一つはクリスマスアルバムにいれたりはしたんですが、
その3曲をとっているときに、これが厳しいですよ。
ガラスの向こう側で見てる人たちが拓郎さん陽水さん泉谷さん小室さん、
こんな大御所の方が観ててですね、どうやってレコーディングができましょうか。
緊張しまくりました。
そんな状況だったんですが、とにかく一応形にはしましたやりました。
どういうことをやっているのかを見たと思うんですが、拓郎さんには言われました。
僕の譜面を見て「この分数みたいなコードは何だ」とか言われまして、
ベース音が普通の和音の構成音の一番下を弾くんですがそうじゃない押さえ方もあるんです。
そういうのを分数みたいに書くんです。
ちょっとすいません専門的な話が出て。
わけわかんなくなりそうですが、そんなちょっとすごくそういうやりとりもありまして、
高校を卒業して大学東京に来るんならそこでデビューを考えようじゃないかってことになったんです。
ほんとにまいあがりますね。
でもそのころはまだ完璧には決まってないんですね。
で、いよいよデビューに向かうという上京することになるんです。
ということでまた次に続けたいと思います。
じゃ、曲聴いていただきましょう。
どんどん歴史が進行して、僕のこの時代の曲いってみましょう。
2曲続けてお送りしましょう。
「a day」
「March」
僕、原田真二は今年デビュー40周年、楽曲とともに振り返って行こう「楽曲制作」これでお送りしています。
先ほどの続きなんですけど、デビューに向かっていよいよ進みだすわけなんですけど、
デビュー曲を何にするのかっていう話になるんですけど、5月の後半でしたか、
まだまだそんな暑くはない箱根の山の上にレコーディングスタジオがありまして、
そこで僕らは合宿のレコーディングやってたんです。
そこに宿泊施設ホテルがあって外のプールも備えているようなホテルだったんです。
そのプールサイドの部屋に集まってレコーディングの後に深夜みんなで集まって、
拓郎さんもいらっしゃいましたし詞を提供するということで松本隆さんもいらっしゃいました。
事務所のスタッフとかみんないたんですが、そこでシングルをどれにするかって決めるわけです。
で「いや、真二の曲はまだ未熟な感じだからって俺がちょっと曲を書こう曲を書こうと思ってるんだ」
って拓郎さんが曲を出してくれたんです。
それはありがたいんですが僕は自分の曲でやりたいという思いで必死なわけです。
何とかしたいなと思って説得したりするんですが、そんなときに僕のデビューでつくられた事務所、
今はほんとにすごいアーチストばかりですがアミューズという会社がありますが、
その代表である大里さんが
「いやぁ真二の楽曲こういう面を持っててこれだけいろいろあるからどうしても真二の曲じゃないとだめだ」
ということを力説していただいて。
結局は僕の「てぃーんずぶるーす」という曲がデビュー曲になるんですが、その夜は決まらないんですね。
空が明るくなってきて朝になって今日はもうやめよう明日から頑張ってまた考えよう、
ということになって解散するわけです。
みんなその部屋から外へ出てプールサイドからそれぞれの部屋に帰っていこうとするんですが、
吉田拓郎さんが僕のことを突然、早朝5時半くらいですかね。
そんなときにいきなり僕を押してプールに落とされんですよ。
「何するんですか〜!」みたいな状況になったんですが、そんなこと言ってる暇もないですね。
とにかくボーンっとバッシャーンと飛び込んでしまいまして、もうぶったまげましてね。
悩んでいたこと吹っ切れるくらい目が覚めました。
いろいろなぜそんなことをしたのか考えてお前の好きにやれっていうメッセージだったのかって説が多いんですが、
誰が考えたのか知らないんですけど、そんなことがなんかの雑誌に書いてありました。
自分で言った覚えはないんですけど。
でもこれは実は仕組まれてたんですね。
松本隆さんが別の角度からその当時はビデオなんかないですから8ミリ撮影をしていたんです。
僕をプールに落とすという作戦が実は進行していたわけです。
いったいどういう目的があったんでしょうか。
その映像をどうしても欲しいということでずいぶん経ってから松本さんのとこにお願いしたんですが、
ちょっとどこにあるか分からないということで「見たかったなあ」
どっかにあるんだったらなんとかしてほしいんですが。
そんなことでデビューが決定して、「てぃーんずぶるーす」でデビューすることになったわけです。
じゃ、曲聴いていきましょう
「LIFE」
デビューからの話をしてきましたけど、ちょっと話を飛ばしてアメリカでレコーディングした2枚目のアルバムなんですが、いきなりそういうチャンスをいただきまして、初めてのアメリカでのレコーディングやるんです。
日本と同じように僕がピアノとギターで入ってドラムベースもう一人ギター4人のセッションで始めまして、
最初に集まってきたメンバーがいきなりセッションしてみたんです。
ある楽曲でセッションしてみたんですけど、使い物にならないんですよ。
なめられてましてね。
コーディネーターがなんにもわかってなかったんでしょうね。
あまりの酷さに速攻でみなさんちょっとお辞めいただいて、もう1回話して、
こういうクラスじゃダメなんだよって話をして二日くらいありまして。
そのあと来たメンバーがすごい奴らが来たんですよ。
当時その後になってから有名なミュージシャンになって今も大活躍してる人やもう亡くなった方もいますけどギターでリッチージトーとかカルロスベガっていうドラムとか西のスティーブアットとか
テクニックもグルーブもすごいんですけど、そういうセッションになって。
最初のセッションの時のベースの人間が人間的にはよかったんで技術はそれほどでもなかったんですが、
いいやつだったんでそいつを残してその人からミュージシャン当たってもらったという経緯がありました。
あと面白かったのが、シタールというインドの楽器があるんですが、シタールを入れたい楽曲があって
それを頼んだんです、コーディネーターに。
そしたらレコーディング始まる1時間くらい前にアシスタントが来ていきなり絨毯を敷くんです。
スタジオになに始まるんだろうと見てたらシタール奏者が来てくれまして
タブラというパーカッションがあるんです。
それとシタールというすごい弦がいっぱいある楽器を「ピヨーン、プィヨーン」って鳴るんです。
それをやってもらうことになったんですがリズムがいまいちだった。
結局タブラは後で僕が自分で録りなおしたんですがシタールを弾いてもらったりしましてね。
いろんな初めてトライする楽器だったりアレンジだったりとかいろんなことをアメリカでやってました。
その後80年代になってアメリカにしばらく住んで、アメリカの音楽吸収する。
これからの自分のオリジナリティをもっと強烈にするために曲をどんどん作りこんでいく時期、アメリカの生活があるんですが、また今度お話ししたいと思います。
じゃ、曲聴いていただきましょう
10月25日に発売されるPRESENCEスタジオライブアルバムです初オンエアです
「WAKE UP」
「てぃーんずぶるーす」
エンディングのお時間となってしまいました。
ライブに来てほしいです。
国内外やってます。
だんだん認知していただいてきてるんです。
今日からの流れで来週は「楽器」
どうしましょうライブかなんかあったりするんですかね。
やばい自分でハードルを上げてしまっている。
「楽器」というタイムトラベルワードでお送りします。
どうぞお楽しみに。
また来週お会いしましょう。
原田真二でした。